介護職員による介護職員の為の痴話

皆様はじめまして。
私のブログに少しでも興味を持って頂きまして
ありがとうございます。

私は福祉業界で働き10年。児童から介護まで携わって
まいりました。現在は介護職員として働いております。

介護施設で働く介護職員の皆様は、日頃、様々な想いを
抱きながら働いておられる事と思います。

 そこで、介護職員目線で客観的又は主観的にと様々な
ことを記事にできればと思っています。
そこには、笑い話から真剣な話し、便利グッズ等など、
出来るだけ多角的で公益的になるようになればと思って
おります。

また、このブログを通じて皆さまのお知恵を頂き、なお
精進できるようにと思っております。

介護職員は1割の人生を背負う

現場の介護職員の皆さまこんばんは。日頃のお勤めお疲れ様です。


今日は、タイトルにありますように「介護職員は、利用者の人生の1割を背負う」者という
テーマで進めます。


なんじゃそれ?と思うかもしれません。


介護職員は低能と言われます。でも利用者の人生を背負っている。
人生=日常生活を支えていると言う事です。


人生の終盤に差し掛かり、最期になる数年を介護職員と過ごす訳です。この時期には
血を分けあった家族より、他人の介護職員と色濃く共に過ごしていく訳です。


世間は介護職員を低能と言いますが、人の人生、一生の締めくくりを誰が責任を持って
行くのか?それは家族ではありません。介護職員・看護師です。ですから決して
低能ではありません。


それを認めたくなければ、家族の方。。。どうぞ、あなたが最期まで看るべきです。



さて、介護職員は、介護をどういうスタンスで看ていくべきか?


固難しい理論はありますが・・・すっごくシンプルに核心に迫るべき唯一の事。それは、。



「家族がその利用者の人生の9割を理解すれば良い。」「しかし、介護職員はその人の
最期の1割を家族に代わり理解すれば良い。」です。



両親を施設に預ける。。。それは、その両親を放棄したようなものです。
とってもヒドイ言い方ですが。現実そうせざるを得なかったのでしょうから。
介護職員はそれらを理解し、受け入れて家族、利用者と相互に看ていく訳です。


お金を払って、親の面倒を見て貰う訳です。どんな理屈を並べても、現実はそうです。


介護職員は、どんな屁理屈を言っても、利用者、家族の人生の大切な、最期の1割を
理解する、飾る、締めくくるキーパーソンになる訳です。


若い介護職員には理解が難しいかも知れませんが、40代、50代となって
貴方が、もう人生を逆算して生きる頃になれば理解できる事なのです。


1割と書きましたが、決して短いとか長いとかの問題はだけではありません。


貴方が、人生の最後に出会いたい、看取って欲しい、世話をしてほしい人はどのような
人物でしょうか?


貴方は、利用者からお金を頂いて働いて下さっています。お金を貰って、いい加減な
介護しているのでしょうか?そのような人に賃金など出せません。


それ程に、人の人生は重いものなのです。